一度は身につけたい日本の伝統文化・芸能
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日本舞踊

日本では、歌や音楽よりも踊りの方が民間芸能として広く浸透していた歴史を持っていたといえます。踊りには楽器の演奏や歌詞の暗記が必要なく、見よう見まねで動きを追いかければ素人でもそれなりに様になるというメリットがあったからです。そういった日本伝統の踊りを体系化した日本舞踊について解説していきます。

日本舞踊について

日本舞踊の「舞踊」とは、明治時代に文学者の坪内逍遥らによって「ダンス」の和訳として作られた言葉です。つまり、日本舞踊とは「日本のダンス」という意味を持つ日本の伝統芸能なのです。

ダンスとの違い

日本舞踊は、西洋のダンスと比べると様々な違いがあることに気づきます。ダンスは手振り身振りよりも一定のリズムを持った「ステップ」を重視しているのに対し、日本舞踊は身振り手振りを重視したものが多く見られます。そのため、西洋のダンスは「舞踏」とも呼ばれていて、日本舞踊との明確な区別化を図っていた節が見受けられます。

舞踊の内容

日本舞踊は、日本各地に伝わっている踊りや舞いの全てを包括する概念といえますが、現代では歌舞伎や上方舞など舞踊の一部を指して使われることが多いようです。元々の日本舞踊は、田楽・盆踊りなどの民間芸能から歌舞伎・能楽や雅楽などの格式のある芸能までを一括するものなのです。

歌舞伎と舞踊

日本舞踊に含まれる歌舞伎は、「歌舞伎舞踊」と呼ばれる舞踊の要素が強い演目のことです。一般的には歌舞伎は、隈取をした役者が大見得を切る舞台演劇というイメージが強くあると思います。しかし、歌舞伎の原点は演劇ではなく踊りにあります。江戸時代初期、出雲阿国という女性が男装して行なった「かぶき踊り」が歌舞伎の原点といわれています。出雲阿国の後、歌舞伎は踊りから演劇としての性質を強めていくことになります。歌舞伎に女性の役者が居ないのは、阿国以降の女性歌舞伎が風紀を乱すものとして禁じられたことに原因があるといわれています。

上方舞と舞踊

上方舞は、江戸時代中期の京都・大阪で生まれた舞踊です。当時の京都・大阪は「上方」と呼ばれ、大衆文化の発信地であった江戸に対して典雅な文化の発信地であったのです。上方舞は上方文化の代表格とも言える舞踊で、お座敷芸として発達した経緯を持っています。舞台より狭いお座敷で踊るため、埃が立たないように身振り手振りを強調した舞いを行なうのが特徴です。

日本舞踊を学ぶために

現在の日本舞踊の流派は、歌舞伎と不可分の関係を持っているといえます。坂東三津五郎を家元とする坂東流や松本幸四郎を家元とする松本流など、歌舞伎役者が日本舞踊の家元を兼任している事情などからも推察できます。かといって、一般人に門戸を開いていないという訳ではないので、学ぶことはさほど難しくないといえます。

教室を探す

現在活動している日本舞踊の流派は、200を数えるといわれています。なので、大都市や中規模の市町を探せば必ずといっていいほど、日本舞踊を教えている教室があるといえます。中には、自宅を開放して教えているような小規模の教室もあります。

着物の着付けを覚える

日本舞踊は、和服を着て踊ることが前提です。そのため、自分で着物の着付けが出来ることが最低条件になっている面があります。練習の時は洋服でも構わないという先生も多くなっているといえますが、発表会などの時は必ず和服を着なければならないのである程度着付けが一人で出来るようになっておく必要があるのです。

伝統文化
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