茶道を知る
茶道は、中国から伝わったお茶を日本独自の文化として研鑽し昇華した伝統文化です。イギリスのアフタヌーンティーが他愛のないおしゃべりを楽しむものであるなら、茶道は「もてなし」に全力を尽くすことを目的とするものとしています。
歴史
茶道は、8世紀の遣唐使によって日本にお茶が伝わってきたことに起源があるといわれています。この時日本に伝わったお茶は、中国で主流だった半発酵茶であったため茶道との直接の関係は薄いと考えられています。現在のような抹茶は10世紀に日本に伝来したもので、高価な中国製陶器でお茶を飲むことが大名などの上流階級層で流行したことが茶道の興りであったようです。
千利休とは?
茶道を語る上で外せないのが、安土桃山時代に活躍した茶匠・千利休です。利休は当時日本有数の商業都市であった堺の商人で、若い頃から茶道に通じ名を馳せていました。やがて、織田信長に取り立てられ頭角を現し信長の跡を継いだ豊臣秀吉の下で茶道の発展に努めていきます。しかし、利休は秀吉との軋轢から切腹を命じられてしまいました。利休が他の茶人よりも有名なのは、いわゆる「茶の湯政道」に深く関与したからであるといえます。茶の湯政道とは、信長による茶道の権威付けと勲章としての活用による内政のことです。つまり、「利休が褒めたものは素晴らしいものである」という権威が信長・秀吉によって与えられたことが千利休という一介の茶人を大物にしたのです。
三千家とは?
三千家は、千利休の子供たちによって興された茶道の流派の総称です。過去には利休の実子である千道安が起こした堺千家が在りましたが、道安が子供に恵まれなかったため僅か一代で断絶しています。現在の三千家は、利休の継子であった千少庵の息子である千宗旦の子供たちによって興された流派です。宗旦の三男が嫡流の表千家、四男が傍流の裏千家、養子先から出戻ってきた次男が武者小路千家を興し現在に至っています。
一期一会の精神とは
一期一会とは、千利休と弟子の山上宗二、そして江戸時代の政治家である井伊直弼によって完成した茶道の精神といえる言葉です。「今日の出会いは今日限りのもので、次に会う時も同じ出会いではない」という意味で、心を尽くしてもてなすことこそが茶道の目的であると説いています。これは茶の湯政道の影響で、高値が付けられた茶器を扱うことが茶道の本流のように捉えられてきたことに対するアンチテーゼともいえます。
茶道と作法
茶道は、現代においては「堅苦しい作法を学ぶもの」と見られていることは否定できません。千利休が説いた「わび・さび」は、「贅を尽くすのではなく心を尽くすことこそが茶道の本質である」というものです。逆に言えば、茶道は茶会を開いて客をもてなす主の心に対して応えるために正しい作法を用いるということでもあります。心の伴わない作法は、空虚なだけで主に対して失礼であるということでもあるのです。